人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

ごく普通の健全な生活

 ここ2日ほど非常に調子が良い。「調子が良い」の定義は人によって異なるが、私の場合は、くよくよ悩まずに作業をこなせる精神状態にあることに加え、生活リズムが整った場合において「調子が良い」と感じるようだ。

 厚生労働省などの提言においてもよく見るのが「生活のリズムを整えましょう」という文言。調子が悪いときはやはり生活も乱れている。じゃあ調子が悪くなったら生活を正せばいいかというと、それはもはや手遅れだったりする。そのときには正す体力も気力もない。いやいやそんなの簡単でしょ、という人は尊敬する。乱れ始めたときにきちんとそれを感知できているのだろう。そういう人はこまめに修正することで規則正しい生活をおくることができる。感知能力が鈍い人は、自分の作業負荷の限度やら閾値やらが掴めないために、いつの間にかストレスがかかりすぎてしまい、自分を壊すことになる。私はこのパターンだ。他人のことは察しすぎるほどに読み取れるのに、自分のことはてんで読み取れないらしい。もしくは、「いいこ」でいたいがために気づかないふりをしているのかもしれない。

 負荷がかかると、どんどん自分を犠牲にする傾向がある。痛みを以ってして痛みを制するとでもいうのか。心が先か、体が先か、悪循環に陥ってゆく。そのときにはもう「生活のリズムを整えましょう」なんて、聞いていられないのだ。

 調子を整えるものは、環境であるように思う。体の調子が悪くとも、環境が良い場合は作業が捗る。気持ちも上向く。そうすると、食事や睡眠に気を遣う余裕ができて、体の調子も整ってゆく。好循環だ。

 ここ2日間の自分を例とすれば、目標とタスクの明確化、適切な作業負荷がある。毎日のすべきことが把握できているために、それに適した生活リズムを形成できている。できれば本を読む時間が2時間はほしいが、今は論文執筆が唯一最大の作業なので、それをひたすらこなす。予定通りにタスクをこなす自分に充実感を抱く。ほどよく集中し、息抜きもきちんととって、生活にメリハリがつく。怒っている人を見ても愚痴を言っている人を見ても、無駄に自分を責めたり巻き込まれたりすることなく過ごすことができる。これはとても健康的だ。

 書き出してみたら、他の人にとってはもしかしたらごくごく当たり前の生活なのかもしれないような気がした。責任のない学生生活は自堕落だ。

 調子が悪いなと思ったら、自分を責めるよりも環境を見直してみるのがいいのかもしれない。環境に縛られるのではなく、適度に自分好みに変えてゆくのが健全なように思う。難しいけれど。