人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

尸がほざく

「いや、おかしいやんそれ」って思うものがたくさんたくさんあって、それを指摘してみて、賛同を受けることがあれど、その後に無力感が蓄積してしまう。
結局相対するものが自分からすると大きすぎるもので、権力とか構造とか、そんなものものには立ち向かうことなんぞできない。
結局自分がここに居続けるわけではないということが、手足を止める大きな要因なのだ。
腰を据えて何かやろうと思えない。どうせいなくなるのだから。
そういう循環を繰り返して、何もできなくなった。
失敗を恐れる必要はないが、失敗することによって信用を失い、拒絶されることはよくあることだ。
失敗することが怖いというよりも、その背後の拒絶が怖いのではないだろうか。誰しも。
今は余裕がないのだ。
経済的余裕がなくなると、人のことを考えることなんてできなくなる。
そんな人たちの攻撃性は、経済的余裕がある人たちの精神的余裕に向かう。
巻き込みあって、誰しも余裕がなくなる。
自分ができないことをやっているやつがいる、それだけで攻撃したくてたまらない。
足の引っ張り合いが至極単純で、自分にもできることで、手っ取り早いから、そして相手をこき下ろすことができるから、そんな歪なコミュニケーションを楽しむようになってしまった。
そうした社会が生きやすいわけなんてなくて、塞ぐ。目を、耳を、口を。
ある人は息絶え、ある人は誰も頼れずに泣き、ある人は極限状態に陥り、ある人は全てを放棄する。

「思い通りだ」

元々身体が弱いのか、はたまた弱くなってしまったのか、最近は立っているだけ、ときには座っているだけで吐きそうになることがある。
横になっていると、パソコンに触れない。本も読めない。
そうしてスマートフォンに依存する。
嘘か真かわからない情報の海で、自分はその広さに対して万能になった気がする。
他人が作り上げたにすぎない海を、自分が見つけたかのような顔をして。
そこから塩を精製するほどの努力もしないで、「どうだ、すごいだろう」と言う。
知らないものに対しては、「わーすごい」と言われる。
その後に、焦燥感に駆られる。
何もないのだ。

作られた枠の中で泳ぐだけ。
私は枠に触れられない。

せめて、本を読むことができれば。
せめて、今やるべき作業をこなすことができれば。
頚椎に負荷がかからなければ。
狂った神経伝達が生じなければ。

普通に日常をこなすことができて、たまに褒められて、たまに叱られて、そんなふうに成長できたかもしれないのに。

怠惰かな。

今の場所を自分の場所と思うことができないので、環境を整えようとまでは思えない。
自分の場所が過ごしにくいのは気に入らないので、手を加えて整える。
もちろん失敗するのでその都度直されて、変わっていって、どうにか形になる。
そんなふうにしていたいだけなのに。