人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

知れ、社会は美しい

Facebookに載せたものを覚書としてこっちにも貼っておきます。

 
 
ハートネットTV観てました。寝て起きたらやってたので途中からですが。
 
摂食障害について。関連としていじめのことも。
 
難病であること、いろんな症状があること(嘔吐、非嘔吐、拒食)、励ましによって悪化すること、心理的な要因が背景にあること、自傷行為の代替や併発となりうることなど、とても丁寧に解説していました。
解説者は自助グループNABAの方。
自助グループにいると世間は案外捨てたもんじゃないと感じる」と、自助グループの意味についても少し触れつつ。
WEB連動企画としてtwitterの投稿を流していたのですが、その中では「生きづらさ」や「死」を仄めかす言葉も多々あり。ちなみに、質問してた人がいたのですが、摂食障害で体重が減った人と体質で体重が少ない人の違いは、一概には言えないけど、遺伝子や腸内細菌の違いが主でしょうね。お腹壊しやすい人と健康な人が同じ体重でガリガリだったら、体内の栄養を吸収する環境が体重に適応できていないのが後者であり元々の生体機能をがくんと抑制させるために命の危険を感じる、ということだと思っています。
こんなに大変な病気だと思わなかった、といった感想も多々ありました。でも、そういう人たちがこれを見てくれてよかったなあと思いました。今までだったら、嘔吐と拒食しか扱わないものが多かったし、とにかく拒食ばかりが取り上げられていたので、それによって余計に自分を責める(=自分は怠けている、摂食障害ではない)人もいたと思うんです。普通の人が摂食障害になったり、ましてや知識のある医療職がなることも多い、と明言してくれていたので、もっと多くの人が、「あれ?普通じゃないかも?」と気づいて早く医療機関にかかれるといいなと思います。
摂食障害は数十年続くこともザラなので、かかる費用が尋常じゃないです。私は食費にほぼほぼ全ての生活費を注ぎ込んでいました(今でもまだエンゲル係数は高い)。借金してまで過食する人もいます。
自分の身体のためだったり、精神のため(食事をしておいしいと感じること)だったり、そういったもののために食費を使っているのならば健全だと思いますが、自分の身体を痛めつけて、精神をボロボロにして、結局栄養は全て排出してしまう、という悲しいお金の使い方を摂食障害の方たちはしていると思います。少なくとも自分はそうです。そのために、他のものにお金を使えなかったりして(交友費や趣味)、どんどん人間関係も狭くなってさらに追い詰められるという悪循環。はたから見れば、バカじゃん(笑)、と思って当たり前というか。
 
アル中やパチンコ、煙草、ドラッグ、セックス、最近だとSNSソーシャルゲームなど、そういったあらゆる依存の一種だと私は考えています。実際に、摂食障害(研究対象は砂糖)では脳内の側坐核という部分が反応する報酬系という回路を(ドラッグと同様に)刺激するというデータも出ています。
お酒や煙草でもそうですが、食事は誰でもやることなので、だからこそ無理解な面があると思います。自分は普通に食事が摂れるけど、なんであなたは我慢できないの?みたいな感じで。そういった場合、食事を行為として切り取って考えることの無意味さがあります。本来は、栄養を十分に吸収すれば身体が満足して(胃袋が拡張した時点でホルモンや神経の伝達によって脳に働きかけることで)食事を止めることができますが、精神的な飢餓が自律神経の正常な働きを阻害しているので、神経がきちんと働かないことで過食したり、逆に全く食べれなくなったりします。(これはあくまで自論なのでちゃんと研究したデータはありませんが、私自身に関してはこういったメカニズムが働いていると思います)
なので、常々申し上げているように、一見して同じ行為(食事)であっても、個々人に応じてその意味合いは違うんです。それというのは、神経などの見えないものの影響を受けているので、理解が難しい。しかも、当人が感じている、生きづらさなどの神経に影響を及ぼしている経験について、周りが共感できなければなおさら理解は得られない。
 
生きづらさが蔓延した社会に(良くも悪くも)なったので、摂食障害のより広義的な部分について放送できたのではないかと思います。
昔に、精神疾患のある人を「異物」として隔離していたときのような「腫れものを扱う感じ」を摂食障害に対してずっと感じていましたが、うつ病が理解されてきたように、摂食障害についても社会が受け入れようとしつつあるのかなと感じました。
 
知らないものは変なもの、じゃなくて、知らないものは知ってみよう、と何に対しても思えるような人が少しでも増えてくれたら、もっと社会は面白くなるんじゃないかな、と思います。そのために(というよりも元々好奇心旺盛なだけですが)、私がまずみなさんの興味あることに首を突っ込んでいきます。みんな、自分のことを理解してもらえたら、相手にも興味を持つんじゃないかな、って思うので。草の根運動頑張ります。
 
(追記)
ちなみに、なんで摂食障害精神疾患なども含めて)があんまり理解されてこなかったかというと、理解できる研究者が少ないからじゃないかなって思います。なぜなら、心の測定ができないからです、個人差が大きすぎるから。あと、当事者じゃないとわからない感覚は絶対にある。すごく繊細な部分。共感ではなく、自分が感じる、じゃないと絶対にわからない部分です。私は、当事者や当事者ときちんと接している、かつ、研究できるスキルのある人が研究を進めていかないと、無茶苦茶な理解しかされなくて、患者が増える一方だと思います。社会的な要因、心理的な要因、医学的知見、栄養学的知見を兼ね備えていないと厳しい。もしくはそれらの分野の専門家が当事者と関わって協力していかないと無理。で、当事者や支援者は、自分の生活や支援活動で手一杯になることが多い。だから、学術がどうしても遅れる。そんな訳で、遅いんだと思います。まず、生きづらさを主観的に捉えてしまう人は、生活がままならない。研究はものすごく体力勝負なので、そういった分野で当事者が生き残るのは、経済面も含めて難しい。
そういった意味で、生きづらい人が増えた社会について「よかったな」って思っています。
ちなみに、私は、摂食障害アトピーなどのいわゆる自律神経失調症を要因とした症状に焦点を当てて神経などの生理学の立場から研究したかった人です。お金がなくて学生続けられないのがやっぱりまだ悔しい。あと、理系は本当に数字出さないと認めてもらえないので、社会学ないし社会心理学からなら、私が想定していた研究が成立するんじゃないのかなってチラホラ思うところもありますね(今さら)。社会人になっても論文は書けるらしいので、悪あがきはしたいな。
 
あーもうだめです、この分野喋り出すと止まらない。えっと、感情にフォーカスしすぎても、身体のデータにフォーカスしすぎてもダメなんです。データばかりを見てたから患者が増加しまくる現状になってるのですが、その一方で、データには当てはまらないけど症状はあって自分はこんなにも苦しい、だから医学はクソ!現代医療はクソ!という乖離が生じているんです。ホメオパシーが流行るのもその一端じゃないのかな。
だから、大事なのは中立な視点を常に持つことなんです。いつも私が口にするホメオスタシスもその文脈で使っているんですが、どっちに偏っても(ないし複数の場合はどれに偏っても)、絶対に理解はできない。何かしらのエラーが生じるんです。身体が健全である状態がホメオスタシスとして中立に位置するように、思考も常に自分軸を持ちつつ中立でいないと、堕ちるんです。
持論では、腸神経伝達と脳の報酬系活性化で身体的な説明はできますし、後天的に遺伝子発現が変わるというデータもあるので、それを応用して補足することはできます。だけど、それだけでは摂食障害は治らない。当人の語りを丁寧に追うことが必要で、その根本を見つけて考え方を変えるなりなんなりしないとどうにもならない。考え方を変えるのは簡単にはできないし、言われてやれることでもない。併走した支援がないとなかなかに難しい。対人関係(主に親との関係、機能不全家族や毒親と言われるもの)に根付いた症状なので、身体だけを見てどうにかなる話ではない。逆に、経験だけを見てどうにかなる話でもない。両方にきちんと対処しないといけないんです。それができる人はほぼほぼいないから、しょうもないビジネスが参入してきちゃってるんです。お金も精神も消耗し尽くしているのに、藁にもすがる気持ちで治す方法を探して、カウンセリング1回5万円!電話30分1万円!とか書いてあったときの絶望、わかりますかね?カイジの心境ですよ、本当に。だから、心身の適切な治療をちゃんと提示していきたいんです。納得がいかなくとも、せめて受け入れられる知識に当人たちがたどり着けたらいいなって思います。私も、私にやれることをやっていこうと思います。
 
あ、社会問題で近頃痴漢などの性犯罪(それに関連したフェミニストの運動なども台頭してますね)がたびたび話題になりますが、これも依存症の問題の一端だと思っています。私は、被害者のケアはもちろん大事で最優先ですが、加害者のケアないし治療も必要だと思っています。「なんで犯罪者を税金で治療するんだ!」みたいな意見もありますが、大事なのは犯罪のない社会にしていくことだと思うんです。なんでそういった犯罪が起こるのかを考えれば、対症療法じゃなくて原因療法が必要になると思うんですよ。で、犯罪って大半は何かしらの原因がありますよね。そうでなければ、犯罪だらけで今頃社会は成り立っていないと思います。だから、その原因をどうにかしないと。摂食障害で、一部に窃盗を繰り返す方たちがいます。そりゃお金なくなっても食べたいならサラ金か盗むかしかないですからね。そういった犯罪社会学(なのかな?)の視点からしても、こういった治療への国ないし国民の理解を得るためにも、研究が必要だなと思います。摂食障害のみならず、あらゆる依存症、社会問題(老老介護やダブルケアなど)が背景にある犯罪に対して、きちんと構造を示して考えることが必要です。だって、最初から「犯罪者」という人たちがいるんじゃないから。社会が誰かしらを犯罪者に仕立て上げているだけだと思うから。
 
 
 
(コメント欄での自分の意見の抜粋:なんで研究者はそんなにダメなのかというか、そんなダメなのに研究者がそこそこいるのかということに関して)
 
自分のところの研究に関して言うと、自分の分野の足場を守るのに必死です。科研費の取り合いが主だと思うのですが、今はわかりやすい数字を提示できる見込みがないと科研費通らないみたいです。だから、新規参入分野への研究支援がなかなかなされないように私は感じます。以前の、スパコンの「2位じゃだめなんですか」のときに、国の理解があまりにもなさすぎるなって思いました。研究の意味を軽視してるっていうんですかね。長期的に積み重ねることで何かしらの意味が付与されると思うのですが、それを端的に切り取って是非を決めちゃっているというか。お役所の人たちは国家公務員試験で入ってるからなのかはわかりませんが、専門分野への知識は深いんですが、縦に深いだけで横に広い人ってあんまり見ないです。そういった縦割り行政の人たちが教育なり研究支援なりの方針を立てたり、経産省の人たちが企業の方針を立てたりすると思うので、トップダウンの現状を考えると、研究者が育たないのもやむなしだなあと思っています。
こないだラジオで雇用問題の話をしているときに「いっせーのーで、でみんなで(企業の雇用基準を)変えないと意味ないんですよね。」って研究者の人が言ってたんですが、一番変えやすいのはやっぱり上から変わることだろうなとは思うんです。だから、この場合で言えば、国なり学長なのかな。資金の支援源である企業でもいいんですけど、研究って大事なんだよってことをみんなが理解しないと、そんなん無駄、いらん、ってどんどん費用削減されてしまうんだろうなと思っています。頑張ってる人もいるんだけど、現状は(みんなの精神的余裕がないので理解への余地がなくて)数で負けちゃう。
現実的な手段としては、草の根運動かなと思っています。私の今やってることもその一種だと思っていて、とっても微力ですしまだまだ納得はしてもらえてないんですけど、でもいろんなことを複合的に見て考えることが大事なんだよって自分の言葉で(一方的に)伝えることはできつつあるんです。
研究者って、日本なら今は教授になれば身分が安定するのかなと思うんですが(それも一つの問題だと思っています)、助教ポスドクの生活の不安定さはひどいですよね。ポスドクで自殺する人も多いですよね(友人が来年度からポスドクになるので本当に頑張って欲しいです)。だから、自分の(ある意味命をかけた)生活のために、惰性的な研究をせざるを得ないのも、とってもわかるんです。強い信念を持って、ごくごく薄給でもうつ病になっても、自分の大切だと思う研究を数年間かけて(年数は2桁いくかもしれません)やり遂げて、今になってやっとそれが評価されつつある人もいるんですが、全員が全員それをやれるというのは期待できないです。それを今の段階でやってしまうと物理的に死人が出ます。
だから、教育や学問、研究を大切だと思ういろんな立場の人たちが、直接的に問題提起をしたり、いろんな形の草の根運動をしたり(例えば、子育てや学校の現場で教育を大切にするだとか企業で産学連携を大切にするだとか)、研究を支援したり、ただただいろんな関心を幅広くもつようにしたりしていくことが、地味だけど大切なのかなって思います。あとは、自分が今過ごしている社会が、そういう研究の積み重ねがあるから存在してる、という認識を持つことですかね。
難しいですね。

あ、ダメなのにいるっていうほうは、それでも自分の研究の意義を強く思っている、または対象が大好きでしょうがない、ないし、伝えなきゃと思うほどの何かがあるんだと思っています。で、まさしくその人たちは(大げさかもしれませんが)人生をかけてでもそれを伝えようとしているのかなと。草の根運動の一つの形の担い手だなって思っています。

ちなみに、データ重視になっていることも大きな要因だなと思います(研究支援が、経済分野やIT関係に重点が置かれつつあるように思うので)。面白いのは、やっぱり何かに偏る(データ重視)と、必ず反対意見が台頭してくることですね。その一つがつながりの重視だったり目に見えないものを大切にしようとする流れだと思います。こうやって紆余曲折しながら歴史を重ねていくんだなと思っています。まあ当人(今を生きる私たち)は荒波に揉まれるんで大変ですけどね。
 
M1のときに、自論を専攻内の授業でプレゼンしたことがあったんです。で、みんな身体面の理論には納得してくれて、最先端の研究の知見も含まれていて素晴らしいと近しい分野のポスドクの方や先生が絶賛してくれたんですけど(あなたの知見があって考えられることだから研究をし続けてほしいって言われてとても嬉しかったのを思い出しました)、精神面に関しては「???」って感じだったんです。(自分で症状を体験したわけではないので)想像ができないのかなあと思いました。逆に、文系の子に話をしてみると、精神面に関しては納得してくれるんですが、身体面の理論に関して「???」ってなってしまって。あー文理で互いに断絶しているなーと感じます。いろいろ共有すべきだと思うんですけどね。