人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

頑張らないで楽しむことを周りから頑張ってるねと言われる

私は、真面目すぎて素直すぎるアホの子なんだと思う。バカよりもアホのほうが間抜けそうだから、アホの子。
小さい子や動物といるときが何も考えずに素でいられるような気がする。大人やしっかりした人たちといると、頑張って考えなきゃと気を張っているように思う。
自分が生きづらいと思う要因は、おそらくこれなんだろう。
何にも考えていないわけじゃない。知らないものは知りたいし、美しいものには惹かれるし、面白そうなことはやってみたいなと思う。
だから、考えるのを意識的か無意識かに放棄して、自分の常識の範囲内のものだけを楽しんだり、困ったことや嫌なことがあればただただ否定する人たちといると、楽しくない。その一方で、今の社会を変えなきゃいけないという使命感に燃えて自分なりに勉強している人たち、それはそれで素晴らしいと思うけど、正直疲れる。批判だらけで、負のエネルギーで動いている気がするから。一緒にいてもワクワクしない。
考えることや学ぶことを楽しんでいる人が好きだ。私もそうでありたい。
そのお手本は、やっぱり小さい子たちだと思う。親の影響を受けない純粋な興味関心。私はそれを持ち続けているつもりだけど、その表現の仕方がだいぶ下手になってしまった。純粋な好奇心は多くのことを見出すように思うけど、なんだかそれを恥だとか罪だとする風潮を感じる。それがとても寂しい。それを知らないうちに身につけつつある自分が悲しい。
福澤諭吉学問のすすめを読んだ。原著は中学生の頃に触れて挫折した覚えがあったから現代語訳のものにした。ただただ知りたいという気持ちが学問に繋がるのかなと思っていたのに、最近はなんだか学問や知識がただの道具になっているような気がしたから、怖くなって、読んだ。
私は、本でも物事でも、批判的な姿勢を持つのが下手だ。下手というか、できない。こうだよ、って言われたら、そうなんだ、すごいな、って思ってしまう。アドラーの本を読む本も読んだけど、すごいな、難しいな、と思った。私は基本的にみんな一生懸命なんだと思っているから、それぞれが違う主張や答えにたどり着いたとしても、それはそれでみんな正しいんだと思う。というよりも、答えはいくら探してもないから、それぞれが思うように生きればいい。だから、一生懸命見つけた主張が、正しいとか間違ってるとか、言えない。自分と似てるな、違うな、という基準はあるけれど、正しいかどうかなんて、わからない。
学問のすすめには、福澤諭吉が考える学問の在り方やそれに触れる人間の姿勢について書かれている。彼が思う学問本来の趣旨は、精神の働きだという。物事を観察することと、物事の道理を推理して自分の意見を立てること。他にもいっぱい納得できることが書いてあって、とにかく、学問は批判の道具じゃないよ、とは書いていないかもしれないけれど、そんなふうに聞こえたから、なんだか安心した。
社会に生きることは、大人になることだとよく言われる。正直、よくわからない。大人ってなんなんだろう。社会の常識や規則を嫌々守って、批判することが大人なのかな。
日本人は勤勉なんだと思っていたけれど、福澤諭吉が、日本人はもー勉強しないから本当愚人だらけであかん、愚人だらけだと政府が腐って国も腐るからみんなちゃんと勉強して!ちなみに勉強は批判することじゃないよ!冷静に考えて、相手の意見もちゃんと聞いて、丁寧に議論すればよくなるのになんでやんないのかなあ?と愚痴を並べていて笑ってしまった。
私は楽しく学問がしたいんだ。気になるものがたくさんあるし、ただただそれが楽しいと思うから。何かの使命に燃えているわけじゃないから、なんだかみんなと姿勢が違うんだろうなあ。