人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

そろそろさようならしたほうがいいのだろうなと

今日は大学祭に顔を出してきました。大多数の人よりも長く大学生活を送っていますが、これが最後だと思うと、寂しいようなどこかほっとするような複雑な気持ちになりました。大学という場所に入り浸ることもなくなるでしょうから、大学祭はなおのこと。夕暮れとともに月が出て、ああ久しぶりに晴れたなあと思うのでした。
人間関係は絶えず流動するものだと思っているのですが、それでも縋りたいものがあります。社会的価値があるだないだで語るとすればおそらくないのでしょうが、人間関係の特色は社会的価値だけでは測れないところにあります。昔のドラマや何かでは、そんな人と付き合っちゃいけません、とヒステリックに叫ぶお母様がいたりもしましたが、「そんな人」の基準は人それぞれで。地位や名誉がある人でもしょうもない人だと思ったらそれはなかなか拭えないし、その一方で、クズだなんだと言われる人に素晴らしい魅力があったりします。私は万人に好かれねばならないと思っていましたが、それから解放されてみれば何のその。人付き合いは自分で選択することによって自他ともに尊重する余裕が生まれるように思うのです。万人の目を気にすると結局どちらも大切にできないんですよね。大事にすると言っても、年月の経過によって互いに環境も考え方も変わっていきますから、それに応じて距離感を変えてゆくこともまた必要で。これもまたとてつもなく下手だったのですが、最近なんとなく感覚が掴めてきました。自分の場合は無理をしたら距離を置いた方がいい。人間関係とは相互の感情なり考え方があって成り立つものですから、無理という感覚にはどこか歪みが生じているわけで。無理という感覚にも何通りかあるので、その中の嫌悪感に近しいものだとは思います。人間やはり本能は強しですから、自然に五感を使っているんでしょうね。私の場合は、感覚で判断したときは大概上手くいき、考えたときはだいたい失敗します。皮肉なものですね。
これからきっとやたら名刺だけが増えてゆくのでしょうが、面白いと思ったらきちんと機会を設けてその人を知っていきたいし、苦手を通り越して嫌悪感を抱いた場合は無理して付き合わず距離をとってみようと思います。理解してくれている人は自分が思っているよりも多くいるようで、よくわからない方向に進んでいってもそれを私だからと認めてくれる、そんな人たちを大切にしていこうと思います。陰口には屈する必要がない。助言はありがたいししっかり受け止めますが、陰口はもう流します。考え方は多様すぎて合わないものを受け入れない人の意見を押し付けられていたらキリがないから。言いたくても言えないなら拾いますが、言いたくても(陰口の対象が目の前にいて)言えないのならそれは拾いませんよ。意見と陰口は全然構造が違うので。という決意表明でした。