人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

言葉もずれるし私の話もずれる

今日はお祝いごとの日だったのでそれを大切にするのが前提なのですが、いろいろと文章を見ていたら頭の中がぐにゃりとしてきてしまったので。

私は当事者性を大事にしたいと思っていて、ある物事について何かしらの課題があるとして、それの感情的な側面を一番理解できるのは当事者だと思います。当事者しか理解できないとも思います。それ以外の面はお偉い方々がいろいろと学説をつけて課題解決のために議論をしてくれていることもあって、それがきっかけとなって世間への認知が生まれることもあります。それでもやっぱり当事者には敵わないと思っていて。勝負事ではないので敵うも何もないのですが、あなた絶対当事者じゃないでしょ、という人が、あなた絶対これをビジネスにしたいだけで解決したいわけじゃないでしょ、と感じるような発言をしていると本当に嫌な気持ちになります。そういう人が声が大きかったりするともう目も当てられないのですが。これ自体はいつも思っていることなのですが、これに関連しているのかはたまた対抗しているのか、もしかしたら両方の側面があるのかもしれませんが、言葉がただの流行と化しているような気がするんです。「まちづくり」もそうだし、「生きづらさ」もそうで。まちづくりは地方創生以前から活動してる方もとても多くいらっしゃるのですが、以後のビジネス臭がどうにも拭えなくて。多く種を蒔いて芽が出たものを大切に育てていくというか、そういう考え方をすればいいのかもしれませんが、種を蒔きすぎると養分の奪い合いになるように思えるのです。言葉だけを振りかざして、中身がないというか。もちろん頑張っている方も多くいて、素晴らしい実績や影響を生んでいる方も大勢いらっしゃいます。考え方は人それぞれなので自分の基準を押し付ける必要もありませんが、(普段話をしていると)考える前に鵜呑みにする人が案外多いような気もしてきて。考える人間が偉いだなんだとは思いませんが、ころっと詐欺に遭いそうだなとは思います。まあ自分は考えているぞと思っている人はもっと危ないと思いますが。言葉を連呼するとその価値も落ちていくものだなあと感じるのですが、おそらく自分の中の当事者性を自分自身でとても大切にしたいからこそ、安物にしたくなくてそんな風に感じたのかもしれません。感情の尺度は個人間比較できるものではないので、そもそも各々が大切にすべきものでありそれは当然の権利でもあるとは思いますが。

ちょっと当初書きたかったことといつも通りずれましたが、言葉をもう少し大事にしたほうがいいのではないかな、と思いました。そこに他人を含むなら尚更。