人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

縛り縛られ、関係を結ぶ

 文章が硬いと指摘されたので、自分なりに丸くしてみます。文章は敢えて硬くしていたのですが、その意味は表現の保護で、自分の考えが崩壊したり、自分の中にあるものとずれるのが嫌だと思ったからです。線を引いて、孤高であることで、そうしてやっと客観的になれるというか。孤高というほど中身のあることは一切書いていないのですが。実験的に丸くしてみます。

 一冊の本を読み終えました。「ソーシャル・キャピタル格差社会 幸福の計量社会学」(辻竜平/佐藤嘉倫編)という本です。今取り組んでいる事業にかなり関連した内容で、基本的には現状分析したデータの提示をして、それを踏まえた考察が複数の項目に分けられて載っています。私は専門知識も乏しく、意味をしっかり理解できたかというとかなり怪しいのですが、これは社会活動に取り組むあらゆる人、団体、行政、企業、皆が知っておくべきデータだと思いました。私自身は、データを利用する力はありませんが、このデータに宿る感覚的な意味は非常に重要だと思います。今はなんだか、社会活動もビジネスの対象になっていると感じることがあって、このデータをただデータ、その結果、として考えてしまえば、それはただのツールに過ぎない。そんな使い方が私はすごく嫌いで、このデータを執筆者が使った意味、このデータを構成している人々の考え方、むしろそこを見ないふりをしてしまえばそのデータは輝きを失うというか。ツールとして使うのは、データだけでなく、人および人が持つ知識、人脈、それらもその対象ではあります。数字の力というのはやはり強さがあるのですが、だからこそそれに踊らされてはいけないと思うのです。生きてゆく上での根本および行き着く先は人であると考えています。自然には勝てないけれど、数字は(その存在ではなく概念としては)人が生み出したものであるから。何のために使うのか、それを考えたほうがいいなとよく思っています。

 最近は公務員に対するご意見ご批判に敏感なのですが、ニュースで全体的な意見として聞くものと、一人一人の意見を聞くのでは、また全然内容が違うのです。それはきっと地に根付いた意見であるか否かであって。その人の生活が見えるか見えないかもそうかな。それを聞いていると、まだまだ行政と市民の対話が足りないように思います。お互いがお互いに足りない。行政が聞く気がないとかではなくて。行政の基本的な役割は、市民の生活を支えることだと考えています。だから、市民の話を聞くのは大切なのですが、それというのは市民が行政に依存することとは全く違います。行政を構成する公務員というのもそれぞれ市民であって、公務員は市民の生活を市民の目線で考えて公務員としてやれる手段を考える。市民は、市民が市民としての責任を担う、自分たちでできることは自分たちでやる。どうにもならないことを調整役として行政が支援する。そういうものだと思っています。とにかくもっと話をしたほうがいい。市民はお客様ではないし、行政はサービス業ではない。人は一人では生きられないけれど、依存しても前に進めない。健全な人間関係を行政との間にも設けるべきであって。少し頼って少し頼られる。それがどうして今の形になったのだろう。話をしたらいいのに。

 話は全然変わるのですが、私は読書が好きなわけではなくて、本が好きなのだということがわかりました。本のカバーの厚みや紙の手触り、匂い、文字の羅列やレイアウト。そういったものが好きなようです。だから他の本を読んでいる人のように知識として定着させることができないのだなと思います。定着させるには、私の場合は相当回数の読み込みが必要だし、関連した本も何冊か読まないと難しい。それでも、本を読むことで他者の考え方に触れるという作業は非常に楽しいです。基本的に考えを知ることが好きなんですね。本のポップを書いていいよと言っていただいたので、どんなものにしようか考えているのですが、それもどこか似ていて。文章で著者が伝えたいと思うこと、著者の考えを、それに正解はないけれど自分なりに汲み取って、自分の考え方が介在して他の人に伝える。大概自由だけれど少しの縛りがあって。それくらいが自分にはちょうどいいのだなと思います。楽しいです。