人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

ホメオスタシスの神秘性

 今日はどうにも疲労が大きすぎて、案の定3時間も寝てしまいました。夢の中でも作業に追われていたし、目覚めて暗かったものですからもう翌日の朝かと思ったら玄関の鍵も閉めずに眠ってしまったようです。こんなことでは社会人としてやっていけないので、自分の必要最低限の睡眠量と許容最大限の作業量を把握しておかないといけません。私は体調の面で迷惑をかけることが多いのですが、体調管理は自分にしかできないし自分がやらないといけないことなので、あと数ヶ月でどうにかしないと。全然関係ありませんが、夢の内容や現実世界でふいに頭の中に流れてくる映像をアウトプットしたら絶対に面白いのですが、どうにも上手くできないですね。空間把握が苦手なので、次元の変換がどうにも難しいです。

 人間の身体はホメオスタシスが働くことによってインプットとアウトプットの釣り合いをとるものであり、その代表例が水分代謝です。そういった数値的に測れるものはもちろんなのですが、情報ないし情報という刺激による身体への負荷も同様だと思います。好ましい環境においては好ましい成果が発揮され、そうでない環境では結果もついてこないということです。私の場合は、身の回りのものを自分の好みに整えることが第一で、音楽や絵や読書など芸術的な美しさを付加してやると、思考が非常に肯定的になります。環境という意味では人間関係ももちろんで、自分が好ましく思う人と過ごせばそれもまたですし、そうでなければ、不快感がだんだんと顔に表れます。環境というものは慣れが生じるもので、それに付随して閾値も変動します。不適切な環境に慣れてしまえば、自分の負荷にも気付かなくなることがあり、身体的危機的状態だと考えています。それとは反対に、適切な環境に慣れきったときに不適切な環境に身を置くことになると、精神的な負荷が高いように思います。そのため、自分の身体的精神的環境を常にモニタリングすることが大切であり、その時々で必要な休息や付加をしてやることが自己管理なのだろうと思います。インプットとアウトプットの物理的なものが食事や睡眠であり、精神的なものが人間関係などの環境的負荷であり、そういった意味では規則正しい生活というのは理想的な概念でしょうね。実行できるかは別として。

 人間関係といえば、最近は過度に消耗しなくなったような気がします。私は比較的性善説を元に生きているのですが、人に期待すると非常に疲れるのです。また、期待される側も疲れるでしょうね。あだ名で呼ばれることが減って、周りに年下の子が増えてきたので、教わる側からはそろそろ卒業しないといけないようです。そんな環境では到底人に頼れるわけもないので、良い意味で依存することなく生きているように思います。私は根本的に人に頼りがちなので、ここ数年は自分一人で物事をこなせるように努力しているのですが、そうすると結果として生じるものはやはりその程度なのです。そこから学んだことは、適度に頼り、適度にこなすということであって、それに試行錯誤しているところです。人を頼らなくなったのは、頼ってはいけないという気持ちもそうなのですが、自分のやりたいことをどうせ理解してもらえやしないという思いから、頼ってもしょうがない、という気持ちも大きくて。ただ、これは、自分の怠惰です。理解してもらえないことももちろんありますが、自分が本当に必要だと思うことは、そばにいなくともおそらく誰かにとっても必要なことであって。その場合は丁寧に説明することができれば、協力者を得ることはできると思うのです。自分の場合は説明に手を抜いているので、理解してもらえなくて当然というか。オーガナイジングの研修運営をした人間がこんなことをしているのは非常に恥ずかしい話でもあるのですが、連帯の協力を仰ぐことが課題解決ないし変革には必要なことです。協力を求めるためには公衆教育が必然です。この部分を私は怠っているのですが、これこそが大切にしなければならないことであって、ではどうしたらいいかというと、タスクの細分化が必要なのだと思います。私は成功体験が少なくて自分に自信がないので、細分化して一つ一つのハードルを下げることで、成功体験にもなるし、教育の浸透性も上がることが考えられます。そうして自分の問題意識ないし課題を多数と共有することがまず第一。その後に、課題解決の段階もまた分散化して、簡単なタスクを複数作る。そして、それに関心がありそうな人に声をかけてみる。引き受けてもらえればこちらも嬉しいし、相手の成功体験や分野の拡大にも繋がる。断られた場合は、さらにタスクを分散させるか、違う手段を考えてみる。その際には、関心を持っていそうな人にアドバイスを求めてみたり。自分が相手に意見を求めるというのは割とwin-winな関係につながりやすいと考えていて、話ついでに助言をするという小さな責任は、相手にとっても心地いいものなのかなと。そういった面からも人脈は非常に大切で、それでも一人「この人だ」と思う人を見つければ、そこから芋づる式に辿ることもできたりして。人脈を活かすにはやはり自分の中でやりたいことを明確にすることが必須ですから、そこが曖昧だと活用しきれないのですが。

 過度の負荷がかかると本当に引きこもるので、今日をこんなにフラットな精神状態で過ごしているということが自分の中ではなかなか素晴らしいことであり。以前と何が違うかといえば、自分の役割の意義を見つけたことです。私は、人前に立ってどうのこうのできる人や、人脈の広い人、つまり人に囲まれて目立っている人に対して漠然とそれこそが社会に必要なスキルなのだと思っていました。それは自分には全くないもので、無力だなあと日々思っていたのですが、運営をしてみたことで、表には立たずとも自分が全く苦もなくやれる小さな気遣いというものが実は欲されているということを体感しました。あとは、入力などの所謂作業というものをやっていただけなので、終わりが見えることと考える必要性がない、つまり(自分の中では)責任がほとんどなかったから、身体的な負荷はあれど、精神的にはむしろ達成感があるというか。これを過度にやると社畜になるので最初に記したように自己管理が必要なのですが。私にとって場の雰囲気を見るということは当たり前のことで、自分の負荷が小さく客観視できるときは基本的にのらりくらりと過ごそうと努めています。最近掲げた理想的な状態としては、聞くの割合をさらに増やすこと。人はあまり他人の意見を求めていないですね。だから、意見を求められていないときはなるべくうんうん頷くように努力しています。まだ口出しを我慢できていないときがありますが。

 何か思っていたことがありましたが忘れました。日々感じること考えることを記しておくと、これこそが自己管理になると思います。どんなインプットがあって、何を感じ考えて、身体的精神的にどんなアウトプットになったのか。誰でもそうだとは思いますが、自分の言葉でまとめておくとそのときの情景が浮かび上がって思考整理やパターンの確認にもなります。ここ数日が(そうは見えないかもしれませんが)元気なのは、やはり少なからず達成感があるからでしょうね。