人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

視る目というものが自己を守り成長させる

 今日は自分のあまりの能力の無さに対する失望に落ち込んでいたのですが、バタバタとしていたので考え込む暇もありませんでした。また、飲み会の場が私にとって新鮮な話を伺える貴重なものであったことにも感謝しています。

 居酒屋の社長さんがたまたまお店に来ていてご挨拶したのですが、私が一方的に講演会に足を運んだだけでお話したわけでもないのに、私のことをきちんと認識してくださっていたことに非常に驚きました。人を大切にすることを心がけていらっしゃる方なのですが、こういった細やかさはわかっていてもなかなかできないことなので、日々強く意識しているのでしょうね。どういった分野においても、パイオニアとなるにはこういった努力が必然なのだろうと思いました。社員の方々は、社長さんの考え方に共鳴はすれどまだ実践しつつ試行錯誤しているのかなと思いましたが、社長さんは確立されていましたね。尊敬します。

 飲み会の場が有益だったのは、物事のアイデアが湧くこと、それに対して賛同者や支援者がいること、そういった一連の流れが目の前で生じたからです。私は本当に物事に自信がなくて、やりたいことがあれど一人ではできないし、それでも賛同者が見つかりそうにもない。そうしたらやれるわけがない、やっても失敗してしまう、それならやらないほうがましだ、という思考回路を経て、やりたいことを自主的に形にすることができないのです。物事の具体化が目の前で自然に行われていて、そんな場があること、仲間がいることがとても素敵であると同時にうらやましくも思うのでした。形は違えど、根底が共通しているということが非常に大切であり、そんな人を仲間と呼ぶのでしょうね。私は友人イコール仲間だとは思っていません。私が(一方的かもしれませんが)友人と思っている人たちは、それぞれが目的に向かって非常に努力しています。公言はしないけれどいつの間にかなんだか高いところにいて、それでもごく普通に過ごして(努力して)きただけだよと、さらっと言うのです。それが私には絶対的に欠けているところで到底真似することもできず、彼らと比較をすれば自分はなんて小さい人間なのか、と生き方を再考せざるを得ないほどに素晴らしい人たちです。努力もそうですが、私が何をしようと、捻くれようとくじけようと引きこもろうとどんなにネガティブな方向に向かえど、こちらから手を伸ばせばいつも通りに接してくれる、そんな人たちです。彼らはそれぞれで目を向けている方向は全く異なります。それでも、何かに対して努力をするというベクトルが同じ。だから久しぶりであろうと何年ぶりであろうと、いつも何も変わらず話ができるのだなあと思っています。仲間と友人は被る層はあれど(私はありませんが)、イコールではないというのは、目的と姿勢のどちらが共通しているのかということです。両方共通している人は、私はいません。友人は大事にしたい人たちが既にいるので、今は仲間を見つけたいです。

 いろいろと思ったことはあったのですが、アルコールの妖気に中てられたのか、あまり頭が回りません。お酒は飲まない(飲めない)のですが、居酒屋という場にいるだけで頭がぼやっとするのはなぜなのでしょう。

 ちなみに、仲間を見つけるためでもあるのです、こうやって文章を書いているのは。