人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

相互理解の難しさ

 一昨日の夜に見たニュースが世紀末感を醸し出していて、寒さと相まって1999年末から2000年にかけての頃を思い出しました。いわゆる2000年問題の時期と東日本大震災の時期、それらは何か共通の悲壮感があると思っていて、それに近いものを感じました。まだ自分の中で要因が明確になっていないのですが、経済状況や社会情勢に関して調べてみると何かしら見つかるかもしれません。ちなみに見たニュースはホストの子がテキーラか何かを5杯一気飲みして亡くなったというものです。

 自分の足場となる地域がぼんやりしていたのが、就職活動を介しておおよそ検討がつくようになりました。地方創生などで話題となっている「地域」とはなんぞやということなのですが、私は「世間」であると考えています。ここでいう世間というのは、以前も述べたように、自分の利害関係が生じる範囲のことを指しています。それは「社会」とは異なります(普段は混同して用いていることが多いです)。私はいわゆる右の人と左の人、双方と関わっています。過激派ではなく、思想の偏りとしてです。どちらの意見も聞いていると、これはなかなか分かりあうのは難しいぞ、と感じます。あくまで私が聞いた人の意見からの想像ではありますが、双方の「世間」がずれているように感じるのです。人の思想というのはもちろん人の数だけ形がありますので平均化することはなかなかに難しく、意見を抽出して考えることしかできないのですが、軸としては保守とリベラル、所得の高低が有力かと思っていて、それでおおまかに4パターンができるのかなと。高所得者は動く金額も大きいですから、世間の範囲が海外をも含む。低所得者はやはりまずは自分が生きることが(誰しも当たり前ですが)第一であり、仕事と家庭の関与範囲がそれである。加えて、それぞれに何かしらの課題(疾患や障害、家庭問題等々)がある場合もある。保守とリベラルは、鶏か卵かの話にはなりますが、国を変えられるかどうかへの期待ないし諦め、課題がある場合はそれの生活への影響度、そういったものなどが傾く要因なのかと思います。所得と思想を掛け合わせて4パターンかな、と。それぞれの人たちはもちろんそれぞれの生活が第一であって、それぞれが(そうでない人もいますが)死に物狂いで生活と向き合っています。その中で、それぞれの世間はどうにも交わることが難しく、それぞれの目的に応じて現状を改善するという意識は共通なのですが、背景が異なるのですれ違いが甚だしいというか。互いの状況を理解しようとしないままに自分の主張だけをすればそれはもちろんこじれますから、あいつは権利を振りかざしている、あいつは自分だけ金儲けしようとして、という殴り合いが始まるのだなあ、と最近頻繁に思います。年をとればとるほど、考え方を変えることは怖くなります。自分が積み上げたものを根底から覆されたら、誰だって自信をなくしますし、自我が崩壊するかもしれません。ただ、時代は確実に移り変わってゆくものなので、自分の問題が現在同じ形で解決するなんてことは決してなく、そんなことを言えばたちまち「おじさん」「おばさん」認定間違いなしです。考えるのを放棄しないで自分の目で今を見ること、自分の範囲外のことは積極的に関わらずとも見聞きしたものだけで批判しないこと、そういったことが大切なのかなと思います。

 全知全能の神になるなんてことは人間の所業において不可能だと思っています。自分の得意なことは自主的に進め、わからないことはそれを得意とする人に聞いたりする。それを推奨するような「世間」を各々が作り出していけば、もっと生きやすい「社会」になるのではないでしょうか。