人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

「勉強するの好きね」と言われそうだけれども、好きなものが見つからないからぐずぐずしていただけで

 最近ずっと考えていることがあります。自分の興味関心のある分野が何なのかということです。いろいろと本を読んでみて、大きな括りでは社会学であるということがわかりました。ただ、社会学の幅が広すぎて、さらに詳細にすると何なのかがわかりません。

 私は昔から生物(いきもの)に興味を持っていました。思春期ですと心の機微に関心を持つ人も多いと思うのですが、自分も例外ではなく漠然と心理という言葉がそれを包括しているのだろうと考えていました。そのため、心理学(もどき)をちらちらと目にしてみたり、関連する講義を受けてみたりはしていたのですが、どうにも腑に落ちないのです。何か違う。見聞きしたものがたまたま偏っていただけかもしれませんが、自分がワクワクするものがそこにはない。それでも人間にはとても興味がある。

 生物を学問として扱う場合、そこには具体的な身体の構造などの知識が含まれてきます。高校で免疫について初めて学んだとき、ただただ楽しかったのを覚えています。あ、それなら自分は生理学に興味があるのか、と。身体のシステムを知れば興味の元が見つかるかもしれないと思っていました。

 私は人より少々遠回りな学歴を歩んでいるのですが、最初はいろいろあって語学を専攻とした大学に行きました。英語ないし言語の成り立ちに関心があることと、心理学が学べることが(当時は真剣ながらどうにもこじ付けの)理由でした。ただ、心理学を見てみると、どうも自分が知りたいものとは何か違う。私は感情そのものにはあまり興味がないのだな、と今なら思います。上手く言葉にできないのですが、心理学や精神系の学問は私が求めている対象とは異なるものを扱っているように感じました。当時はそれもよくわかりませんでしたので、生体への関心が高まったのもあり、しかし医学部にはなかなか入れませんので、それでも生理学が学びたいがために(血を見ないで済む)コメディカルの分野へと移りました。生理学は確かに学んでとても面白かったのですが、ある段階になると、ああもういいや、といういつもの飽き性が出てしまったのです。自分の知りたい疾患と身体の関係性がなんとなく掴めて、飽きた。人間をモノとして例えるならば、箱の構造が大まかにわかった。それでも生物にはとても興味があって、よくわからないな、ともやもやしていました。昔はそれほどだったのですが、最近ドキュメンタリーがとても好きなのです。NHKのドキュメンタリー72時間なんかは特に面白くて、一つの場所の人の行き来を写しているだけなのですが、人それぞれの背景が全く違ってそれぞれに物語があるのです。普段、私は自分のことで精一杯なので、他人が主役であるという視点はなかなか持てないのですが、ドキュメンタリーとして放送することでその視点が得られ、目線が稀に増えます。なかなか常時は増やせませんが。ドキュメンタリーを好きになった理由は、周りからの疎外感が常に付き纏った時期にあるように思います。私は昔は強く他人に依存していて、今もその傾向はままあるのですが、だからこそレールから外れたというのが大きかった。それ以前に準保健室登校みたいなことをしていたり、たびたび休んでいたので、いつレールから外れてもおかしくはなかったのですが、親がどうにかこうにかレールに乗せてくれていたのでやってこれたのだと思います。一人になれば乗せてくれる人もおりませんし、違和感もずっとありますし、そうしたらやはり疎外感が出てきてしまいました。どうして自分は上手く進めないのだろう、なぜこんなにも我慢ができないのだろう、と考えるのは日課でした。日課です。それでももう少し学べば求めるそれが見つかるのではないかと大学院に進むのですが、学部の友人も皆働きだし、院に共に上がった友人は皆研究に励み、すると必然的に一人になります。考える時間はさらに増え、生理学はこんなにも楽しく知見も日々増えてゆくのに、あれなんだか違うぞ、と。感情の動きと身体の動きを知れたのに、じゃああとなんだ、と思うと、やっぱり変化が欲しい。机上で扱う人間はモノであれど、実在の面白いあの人やこの人はモノではない。身体の基本構造は同じだけれども、その人独自の行動の蓄積がその人となりを表し、同じインプットに対してさまざまなアウトプットを表すのではないかと。行動とは何かを考えたとき、人間が生きる場所は社会である。よろしい、ならば社会学だ、と。

 と、ここまではなんとなく納得できたのです。今わからないことは、自分の関心が社会心理学なのか医療社会学なのか、はたまた総合政策研究分野なのか、ということです。人間の面白さというのは十人十色であって、その考えから私は医学の立場から社会を見るよりも、社会学の立場から医療を見たいのだというのはわかりました。ただ、具体的な自分の対象は、慢性疾患および精神疾患を有する人がいかに生活を送るか、だと考えています。いろいろな人、それこそ街を歩いてすれ違う人でもいいのですが、その人が何を考えているのか、そう考える背景にはどんな経験があるのかを知りたいという気持ちもある。慢性疾患を挙げたのは私自身がアトピー性皮膚炎であることから、私は生まれつきなのでいわゆる「伝記の断絶」を経験したことはないのですが、後天的に患った人はどうなのか。断絶が生まれる背景としての社会構造、その構造を作らざるを得なかった歴史文化伝統、それを経た人々の考え方の変化、そんなところに興味があって。誰かの「語り」への関心が強いのだなというのはわかります。誰かとすれば社会心理学、罹患者とすれば医療社会学なのでしょうか。政策の歪みというものはその語りの認知の不足が一因であると考えていて、政策をああしたらいいこうしたらいい、と思うことに対しては総合政策研究分野か。難しい。

 自分の根となる場所を得ることができたので、大学院には通えずとも将来的に社会人学生になりたいと考えています。根の場所のそばにも多く大学はあるのですが、自分のやりたいことがやれそうな大学院は東京もしくは関西方面で遠いのです。卒業した分野とは全く異なるので独学では厳しいのでしょうか。研究者になることは未練はあれど諦めているので、博士号を取ることが目的でもないのです。ただ自分のやりたいことをやるためにはきちんと考え方を学んだほうがいいのかなと。でも研究室に通えないのなら学生になってもしょうがないのかな。よくわかりませんが、勉強がしたいです。検索しても出てこないのですが、ビュアリーさんに会って伝記の断絶の話がしたいです。大学院を調べていたら、最近どうやら医療社会学系のコースが増えつつあるようなのですが、それらは医療からみた側がほとんどなのです。慶応の鈴木晃仁さんや龍谷の黒田浩一郎さんの紹介は見ていてワクワクして、彼らはおそらく社会側から見ているような気がして。もうここら辺は好みの問題なのだろうか。社会人学生になるなりならないなり、何か良い決断ができればいいなと思います。

 

 

 

追記

 生理学生理学書きましたけど、卒業論文で扱った分野は分子生物学寄りです。分子生物学はヒトDNA全解明からしばらく静かなように思いましたが、microRNAの発見で再燃感ありますよね。テーラーメイドにいよいよビジネスが参入してきたものの、意気込んだ遺伝子検査は結果こそ判明はすれど遺伝子の役割がまだまだ途上段階ですからそれが何を指しているかが正確には掴めない。だから熱も冷めたのではないかと思います。私個人としては、分子をビジネスで扱うにはまだまだ時間がかかるので、臨床でテーラーメイドやろうよと思うのですけれどね。というか、散らかして去ってゆくのならば正直参入しないでほしいのですが。散らかして、というのはアトピービジネスみたいに対象層を振り回したり悪い印象を残すという意味で。一つ一つ丁寧に扱わないから、時間が経つと構造のヒビが取り返しのつかないことになるのです。散らかされた側としては、次に新しい素晴らしいものができたよ、安く売るよ、と言われても信用できないです。私がビジネスやスピリチュアルが大嫌いな根源はこれです。学術に基づくことでスピリチュアルを断ち切るための努力をしているつもりですが、学問の権威者がそれに手を貸してしまうともう楯突く島もないのですよね。だから私は学問に固執するのかなと。自分で知るしか自分を守る方法がないので。

 あと、分子生物学も生理学も何でもそうだと思うのですが、全ては連鎖反応による変化の形成なんだろうなと。物質単体は入れ物であるとして、それに例えば原子という特徴をつける、つけるという動作(本来は先天的なのですがイメージとして)が変化として意味を成す。原子ができたら分子、それがどんどんとアミノ酸、ペプチド、たんぱく質(タンパク質)へと構造の次元を上げて複雑化し、機能も多岐にわたる。それが面白い。私の興味対象。人間は複雑さの象徴みたいなもので。人間というハコがどのようなインプットによって独自のシステムを構築し、基本的な生体反応に個性という情報を付加して行動をアウトプットするのか。面白くないですか。