人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

見つけることと選ぶこと

 「14歳からの社会学」(宮台真司著)を読みました。発売当初にも読んだような気がしますが内容はほとんど覚えておらず、偶然図書館で見つけたので再度手に取りました。

 本を見つけることにでも何にでも言えることなのですが、運命や縁という言葉の根本は自分の意識なのだろうと思います。運命と言ってしまえば、何だか物語のようで夢もあるのですが、その一方で努力ではどうにもならないような冷たさも孕んでいるように聞こえます。選ばれし者だけのもののような、主人公になれない者は惨めな道を歩みなさいというような。現実は全くそんなことはなく、自分の意識が知覚として働くことが強ければ誰しも自分が求めるものに辿りつけるものだと思います。例えば環境要因によって求めることが妨げられるということは往々にしてあるものですが、それらも含めて、求めよ、さらば与えられん、というか。誰しもそういった意味では平等で、ただそれを継続させることはとても難しい。継続できる者が選ばれし者ならば、それはそうなのかもしれません。持続力も能力です。

 さて、本を読んで、全面的に賛同しているわけではないのですが参考にしようと思ったことは複数ありました。これは2008年に書かれた本なのですが、指摘されている社会の様子と現在はそんなに乖離した部分はなく、それどころか悪化している一方だなと思いつつ。その一つとして私もたびたび言及しておりますが、承認について。以前読んだ「空気と世間」でも触れられていたように、「みんな」の崩壊によって、「みんな」が誰までを指すのかがわからなくなった。世間は多様化し、暗黙の了解が通用しなくなり、ルールは増え、規制も至るものに対してなされるようになった。良い面としては、選択肢が増えたので、自由が増えたと考えることができます。好きな学問を見つけて大学に入る、やりたいことを見つけて会社に入る。インターネットが普及したので、情報にも容易くアクセスすることができます。その反面、競争の激化やその根源となる格差云々もそうなのですが、そもそも選択をするという能力が身につかない人が顕在化するようになりました。昔はレールに沿っていけばいい人生が確証されていたのかもしれません。今はそうではない。私は恐らくその狭間に当たるであろう土曜半休や週休二日制の変わり目を経験しています。私の世代が選択できない人間ばかりかといったら決してそんなことはなくて、尊敬する友人も多くいます。ただ、私自身は選択できない人間です。インターネットの掲示板等の存在を介して、ちょうど同世代から機能不全家族の存在が顕在化してきたように感じているのですが、私自身の選択できない要因は、承認欲求の不足です。本の中では、試行錯誤・他者の承認・失敗しても大丈夫、という3段階を繰り返すことで自己を確立してゆくといった旨のことが書かれていました。そのサイクルを上手く回す環境があったか否かはとても大きいと思っていて、私は今でもできません。適切に褒めること、適切に叱ることはとても大切です。自分にこの感覚が備わっていないからこそ、子どもないし他者に対しての接し方がわからないと感じることも多いです。これをどう身につけたらいいかというのは、未だに答えが出ません。

 もう一つは、自分には何があれば幸せなのかということ。これはきっと選択の基準になるのだと思いますが、自分の最低ラインを見つけて物事を選択することが大事である(とは書いていませんが)と解釈しました。仕事を選ぶのだとしたら、やりがいを求めるのではなく、自分の幸せを脅かさない生活を送るためのお金と時間が確保できる仕事を選ぶこと。私はこの選択についていつも悩みます。何があれば幸せなのか、その対象が不明瞭だから、選択もできないのです。音楽の聴ける環境で、図書館に通う時間は欲しいのですが、それ以外はあまり思い浮かばない。これだけで十分かというと、そうではないような気がする。人によってはとても簡単な質問なのかもしれません。答えが出ない理由というのは、自分の問題点ばかりに焦点を当てていて、かつ幸せになるわけがない(なる権利がない)と考えていることが原因だと思うのですが、こればからは思考の練習をするしかないのでしょうね。考えてもどうにもならない問題を放置する努力が必要だな。

 あと、興味深かったのは、社会学の観点からSF作品を観るということです。SFは未知の領域なのですが、紹介されていた作品が今読みたくてたまらないです。今自分が欲している世界観がそこにあるのかもしれません。ナウシカエヴァンゲリオンもいいけれど、安部公房の作品がとても気になってしまって。「砂の女」も安部公房だったのか、と思いつつ「他人の顔」が読みたいです。

 ああ、やっぱり実家だと文章書けない。