人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

自分の身は自分で守るということ

片目の視力が死んだりなんだりで不自由な日々を過ごしております。この頃は天候が不安定ですね。暑さも低気圧も体内調節に異常をきたしかねないゆえ、皆様ご自愛ください。

いろいろと本を読んだりしてそれらの感想を書こうと思っていたのですが、時間が経ちすぎて色あせてしまいました。家と労働をキーワードとして読み漁っていたのですが、以前と比較して、家をテーマにした本が増えてきたように思います。自分にとっては参考文献が増えて喜ばしいことなのですが、テーマとして扱われるほど問題のある家庭が増えたもしくはそのような構造に変化してきたということに関しては悲しくもあります。5冊ほど買いましたが、一番気になっていた「家族という病(下重暁子著)」は親の前で手にとることはまだできませんでした。

ちなみに買ったのは、「『家』を読む(米村千代著)」「仕事と家族(筒井淳也著)」「空気と世間(鴻上尚史著)」「社会を結びなおす(本田由紀著)」等々。

テーマとは関係ないのですが、自分が話を聞いているときの姿勢と似ていると思って購入したのは「断片的なものの社会学(岸政彦著)」です。これが仕事として承認されるのなら私も社会学者になりたい(皮肉ではなく)。

 

さて、今日書きたいことは上記とは別にあります。一応の本業のテーマである食に関してなのですが、これを管理栄養士ならびに食環境を改善しようと努めている方々に話すと喧嘩になりそうなので、公には主張していません。

食というものは、格差を表す一つのツールだと考えています。衣食住の一つを担っており、身体や精神に影響を及ぼしやすいため、良質な食生活を送ることが多岐にわたって持て囃されているように感じます。良質が指すものは多岐にわたるのでしょうが、そのような食生活を以ってして殴り合いをしたり他人を裁いたりしているように思います。まるでその人が指す良質な食生活を送らない者は悪である、送れない者は負け組であると言わんばかりの。そういった表現によって、それに則すことができない自分を罰している人たちがいます。ただの基準でしかないのに、いつの間にか義務として自分に課しているような。メディアも乗れるものには乗る傾向があるようですから、義務や格差を助長するような表現をしているように感じます。

そのような中で、私も含めですが、食(・健康)にあまりお金がかけられない人は、それに乗らないことが経済的・精神的衛生にとって健全だと思っています。自分にとって健康でいられる・生命維持ができるボーダーラインの食事内容はどんなものであるのかを各人が把握しておくことが重要で、その内容というのは人それぞれ違います。なぜなら、身体の大きさに加え、遺伝子や腸内細菌、環境などは十人十色だからです。厚生労働省が出している食事摂取基準もありますが、あれに万人が適応するかというと、正直無理だと思います。そんなわけで、結局は自分で自分を守るしかないのです。私の場合は、遺伝子検査をしたわけではありませんが、おそらく脂質かつたんぱく質の消化がしづらいので、そういったものを日常的に摂取することは控える必要があります。また、量的な面での消化機能も弱いので、それも気をつける必要があります。白血球数や尿蛋白、炎症状態などの血液検査の結果と、食事による体調(内部環境)の変化、天候やストレスなどの外部環境の変化などを考えることでそういった認識に至りました。気をつける・控えるの連続では、慣れてしまえば平気なのかもしれませんが、目や耳・鼻からの刺激もしくはストレスによって食欲が増すことはもちろんありますので、食べたいときは食べます。食べられないときは食べません。これは健康な人にとっては当たり前なのかもしれませんが、私の場合は度々崩壊するので、意識的に気をつける必要があります。

食の欧米化(西欧化)によって崩壊したのは、ハレとケの概念だと思います。身体は大きくなりましたし寿命も延びましたが、飽食によって病気も増えました。欧米化の良い点を取り入れつつ、ケの概念を見直すことが重要であるように思います。美味しいもの食べて早く死にたい人はそれはそれでいいなと思いますよ。

病気であったり、経済的貧困である人たちを追い詰めるような理想の食事像は止めてほしいなあと思います。人間の機能が素晴らしいと思う点の一つは、体内の恒常性の維持を無意識に自分で察知しているところです。すなわち、出血したら血液凝固を経てかさぶたができたりとか、栄養が不足していればそれを補うような食品を欲するとかそういうところです。自分で気づく力があるのだから、その人が自分の環境において必要なものを選択する力が(本来は)あるはずなので、よくわからないルールや規制をする必要はないと思います。むしろそれをやると感じたり考える力がなくなる。

食について書きましたが、これは近年のさまざまな問題にも共通する構造だと考えています。規制だ罰だなんだかんだめっちゃ疲れる。権利と義務は別だし、他者への物事の強制は一方的に行うものでもない。退廃した雰囲気が早く過ぎ去ってくれないかなといつも思っています。