人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

なぞる

大型犬が目をぎゅっと瞑る瞬間はとても可愛いと思います。

人見知り全開するので大人数のイベントへの耐性がいつまで経ってもつきません。閾値はだんだんと下がってきたけれど、2桁はまだ怖いです。そういったときに出会う人たちと少人数で出会う人たちとでは、私に対する印象が全然違うんだろうなあと思います。初対面でも会話が長続きする人を尊敬する。

 

自分の軸が固まりつつあるので、自然とそういった方向を重視しつつ情報を集めるようになっている気がします。それは自分にとってとても嬉しいことです。なぜなら、以前までは「わかりやすい正義」に追随しないといけないと思っていたので、自分の考えに関係なく右に倣えを(疑問を持ちながら疑問を持つことは悪であると制しつつ)していました。これがものすごくしんどい。わかりやすい善でラブアンドピースでビーハッピーみたいなものには自分は迎合できないんだなあ、と何となく理解しつつそうでありたいと思うも、認めるのがつらいのです。それを認めると自分の足で立たないといけないから。自立は(自分自身に関しては)しなければいけないと思っているのですが、それは経済面や精神面に関してであって、社会(構造)に関しての自立はかなり孤独を強いられるように思います。集団に倣っていけるのならば楽だと思うことが多々あります。それでもできないというかしたくないから、それはもう自分で自信(という表現は適切ではないですが)を持ってやっていくしかない。それでも元々の性格として(経験の積み重ねから)自信が持てないことと、身近に価値観の共有できる人がいないことがつらく感じます。そういった背景があるので、自分の価値観により近似的な情報が集まってくることは非常に心強いのです。

いいなあと思う考え方をする人がいて、その方の言葉が自分にとって絶妙なタイミングで流れてくることがあります。自分の中にある曖昧なことをはっきりと表現する言葉が、自分が考えているまさしくの時に現れるのです。依存するわけではないけれど、その方は現に(社会的に)自立しておられるので、とても尊敬しています。直接会ったこともないし一方的に言葉を見ているだけですが、なんだか励まされるというか。よく変な人に絡まれてるなあとは思いますが。

昨日またそういったことがありました。そこで呟いておられたのは、社会の在り方に関してです。

「自分たちの思い描く理想の社会」の実現と「いろんな人(色んなパターンの助けを必要としている色んな人)をとりこぼさない社会」の実現では、前者の方がキャッチーかつ達成感が強くて気持ちがいい。

(※改変済み)

射抜かれたような感覚でした。見透かされたというか。最近、考えの共有の出来なさっぷりがひどくて(自分に対して)絶望する案件が非常に多かったのですが、なるほどこれなら確かにわかりあうのは難儀だなと。なお、その方は、「意見の相違」で済ますのは無益なので、賛同できる部分においては協力していく、と綴っています。私はとりあえずこれがわかっただけで助かりました。知ればわかってくれるだろうと思い込んでいたので、そこに関してはいろいろと諦めることにします。さらっと流す。

 

今日は再度人口に関する講義を受けてきました。人口減少への直面には文明転換が伴うということでしたが、今回の文明転換は一体どのように進むのでしょうか。転換期に生きるというのが初めてかつおそらく最初で最後なので全然想像もつかないのですが、一つは雇用ですよね。働き方が自由になって、企業というものが絶対ではなくなりつつある。近代化によって企業が絶対視されはじめたのだと思うのですが(護送船団方式とかによって安定が確立されていた)、そういったものはそもそも大家族の在り方や人口増加によって保障されているものなので、少子化の現在で機能しなくなるのは当然といえば当然です。そういった意味で働き方は新しいものが生まれ始めているし(伊藤さんのナリワイなどは非常に面白いと思います)、就農される方も増えています。第1次産業への従事かつ第2次、第6次への発展も面白いです。

同様に、結婚も制度としてはどうなのかなと思うところがあります。子どもを産み育てるには結婚という「制度」が必要かというと、絶対条件ではありません。性別という観点が絡んでくるのですが、結婚はあくまで「両性」を想定した制度であるので、近年急速に(メディアの作為も一部含みつつ)認知が進んだLGBTとの共生社会を考えるならばさまざまな問題が生じます。結婚は義務ではありませんから、そもそも(各々の考え方によって)それを望まない人たちもいます。私は本当に認識も視野も狭いので、いろいろな人に敵視されそうな表現を含んでいるのですが、結婚「制度」を前提とした人口増加対策は納得しかねます。とても言葉足らずな表現になりますが、今でも「結婚しない=悪いこと」という認識が根底にあるからこそ婚活ビジネスが進んだりモラハラや負け犬という表現が横行しているように思います。結婚したい若者は9割だそうですが、そういった人たちに対しては、結婚そのものの支援よりも結婚や育児など、そういった将来の生活への保障が必要なのではないでしょうか。まずは考え方を変えることでしょうね。

最近よく考えることの共通項に「歴史」というものがあります。物について知るにはその歴史をなぞること、人について考えるにはその生き方を辿ることが必要だとつくづく思います。講義の中で静止人口が国家目標だったという話を前回も聞いたのですが、「女性は産む機械」と発言した議員の方はちょうどこの世代に若者だったのではないか、とふと思いました。メディアでも静止人口のことが取り上げられていたようですから、そういった意識が芽生えて根付いていても、それはその人の常識として残っていてなんら不思議ではない。先に書いた考え方の共有ができないというのは、世代間においてはこういうことが一因としてあり得るだろうし、個々では人それぞれの経験の相違が関係してきます。人口安定に向けた対策として若い女性に焦点を当てていましたが、その話の中で出てきたのは、ロールモデル(≒メンター≒師)の不在。いるとしても都会で成功していたり環境に恵まれていたりで身近でない、そういった点から、自分が働けるのか、また育休からの復帰ができるのか、ということが取り上げられていました。考えるにそれは女性に限られた問題ではないのでしょう。文明転換期においては安定層とそうでない層と、やはり格差の影響は大きいです。その中で新しい生き方を見出していくのは、私の場合は0から1を作り出すのが不得手(というか思いつかない)なので、そういった存在は淘汰されていきます。つまり、社会不適合として見えないものと化します。何か行動を起こすにも自分自身がメンター側(第一人者)にならないといけないと思うと、なんともハードルが高いですね。

情報が集まりだしたので、今度は行動のモデルを掻き集めようと足を運んでいます。まだしっくりくるものは見つかりません。2種類の社会の話を読んだので、むしろ見つけるのは非常に困難なように思えてしょうがない。本は読んでいるけれど、自分を現実において応援してくれる人の共通項もそうなのですが、いいなと思う考え方の人(著者)はどこか偏屈かつとりわけ高齢の男性(もう亡くなった方もいるくらい)が多いので、メンターにするのは難しい。人の目を気にするかつ考えすぎて行動できないくせに共感されにくいものを望んで今の社会の在り方には迎合できない、というのはわりと詰んでいる気がします。