人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

せめぎ合い

この時期になると宇部商の投手のボークがいつも放映されていて、そのたびに泣きます。比喩ではなく泣きます。甲子園が始まると一気に夏が来ますね。うだるような暑さから逃げながら、セミの鳴き声を聞きつつタンクトップ1枚で扇風機を回して試合を見るのです。サイダー味の棒アイスが溶けて垂れてくるのをすすりながら一投一球に一喜一憂するのです。他の家からも球を打って歓声が上がる音が聞こえてくると、夏だなあと思う。

 

self-interestという言葉があります。私利とか私欲という意味を持ちます。私利や私欲は、自分のための利益を表します。selfは自分(自身)、interestは興味、関心、金利、利益などの意味を持ちます。interestの語源はラテン語のinter esseで、(自分と他者の)間(inter; between)にある(esse; be)というところから、二者間の関係性(対人、対物)を示すようになりました。自分が何かに興味関心を持つ、金銭関係が生じるのもその一つでしょうか。

組織の基盤は私利によって形成される、といった内容を翻訳しているのですが、最初は私利ではなく自分の関心で訳していたんですよね。貧困問題や労働などの社会問題に対抗する組織ですから、私利だと腑に落ちないなあと思って。 とりあえずそのまま訳していくと、どうにも関心では覆いきれない感情が混ざっていることに気がついたのです。あ、やっぱり私利だわ、と思い、書き直しました。社会貢献といえど、その根底は「私」なんですよね。私自身、私の関心事、私のコミュニティ、そういったものがより良いものとなること。それらはいずれも私利なのです。(社会)貢献とは、社会の役に立てるよう尽力することですが、それは私利です。貢ぎ奉れども、私利です。むしろ貢ぎ奉るのは私利のほうがしっくりきます。他者に対して何かを「してあげる」のではなく、自分に関係する何かが改善するように他者に対して何かを「する」、すなわちその行動の目的は自分のための改善であり、他者に何かすることではありません。だから、嫌な例を挙げるとすると、わざわざ県外から震災ボランティアに行って、被災者の人の分の食糧もボランティアの人に回ってたけど、かつボランティアの人はそこで友達を作るのが目的であっても、その行動の根本は「私利」だから成立するんですよね。誰かのためを思って行動している人も、他者から感謝を受けるけれど、それは回り回って自分の周りの改善に繋がるから、そういった意味で私利になる。

 言葉は難しいですね。自分と相手(読み手)の背景が共有できていないと武器になりかねない。そういった意味では教養の程度の類似性は重要だなあと思います。それがずれると誤解されてしまう。私の場合は言葉の表現が不足していることが非常に覆いのでなおさら。

言葉もそうなのですが、話の論理と感情のバランスも同様に感じます。どちらかに偏りすぎると会話が成立しなくなる(というか疲れる)。そのバランスが取れている人は本当に知的だと思います。今の世間様の風潮もまさしくそれで、感情に偏りすぎていて話のロジックが見えてこない。だから疲れる。ワークライフバランス同性婚も就職活動も法律もみんな同じものを感じます。納得できる話を提示している人がいない。私は”のうたりん”なので、話を丁寧に(正確に)してくれないと理解ができません。問いをもって調べてみても、行き着くところは感情論だったり不明瞭だったりします(調べが足りないのかもしれませんが)。今の所一番理解が進めることができたのは、歴史を辿って検証をすることです。私は専門外のことに関しては義務教育レベルの知識でも怪しいですから、ひたすら他人様がまとめ直してくれているものを頼りに読み進めるのですが、データの明示がやはり大切なのでしょうね。共通の尺度がないと検証にならないからどうしても感情が入ってくる。理詰めで話されると非常に苦痛なので、データの一つである世論や当事者の筆跡をたどりながら歴史を読み解くのが私は一番理解しやすいと思いました(だからこそ、こないだの講義は素晴らしかった)。

社会は案外簡単に「動いてしまう」のかもしれません。自分の頭で取捨選択していかないと、簡単に声の大きいものに絡め取られてしまう。煽動は無意識下で多種多様に行われており、知らぬ間に関わっていることもありえるのでしょうね。私利が複雑に絡み合って、優しい顔をして首を絞める。縛って解く、せめぎ合いですね。そうして社会の恒常性は保たれるのでしょうね。中立性とは少し違うのだと思います、作為的な面もあるから。

作為的といえば、優生学の議論が起こると本当にロボトミーやドリーが再来するのではないかなと思います。人間の基準で優性劣性を考えるのは本当にやめたほうがいいと思うんだよね、どうせ自然淘汰されるんだからほっとけばいいのに。人間も結局は環境に敵わないんだと思う、自然災害しかり。