人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

畏怖

自分が行動できなくてぐちぐち言うだけの愚図であることに関して考えてみました。行動しなきゃしなきゃ、という焦りがあるからか、行動している人の情報がたくさん集まってきます。話を聞いたり、テレビやネットで見かけたり。高校生が原爆を伝承する活動の特集を放送していたので作業しながら聞いていたけれど、その行動に熱しかない。それが余計に「あ、自分ただの愚図や」と思う気持ちを強固にしました。

さて、なぜかというと、第一に「お金を稼ぐことは悪である」という考え方があります。きっかけが何なのかはわからないけれど、ずっとそう思っています。おそらくアトピービジネスの影響が大きいんですよね。「何々がアトピーに良い!だからこれをみんな買うべき!」とか「私は何々で治りました!下のリンクをクリックしてね!」みたいな。金がない奴は治すことすらできないのか、という苛立ちが大いにあって、そこから一時軽度なサイレントテロリストになりました。消費は悪、消費をしなければそういったクソビジネスが淘汰されると思い込んでいました。まあ無謀ですね。医療は薬漬けにするだけ、だから食で完治させる、という気持ちもあったので今の大学にきたのですが、医療も食もどちらも善悪が混在しているんですよね。普通はそれを当たり前に理解して自分に適したものを取捨選択できるのでしょうが、私にはそれがわからないのです。残念ながら、まだ「わからなかった」とは言えないのですが。なぜなら本当にアトピーというものが嫌で嫌でしょうがないから。今は薬と食事と使い分けて考えることができますし、消費行動全般においても、自分に必要だと思ったらお金をかけるようにしています。人に会いに行くのも(わりとお金がかかるので、消費という表現は適切ではありませんが)その一つです。前よりはだいぶお金を遣うようになりましたが、自分は遣うほうはいいけれど稼ぐことに関して、まだ嫌悪感があります。自分自身が搾取されるのが怖いから、他者に対してそうなってしまうのではないかと思っているんですよね。消費ばかりでは生活が成り立たないのにね。軽いトラウマだねこれ。

第二に、「地盤を固める覚悟がない」ということです。前も書いたかもしれませんが、地域の活動に関しては自分は傍観者のスタンスでいます。その地で暮らしているわけではないから。これに関しては、来年度からは腹を据えなければならないので、そこでやっていけばいいのかなあと思っています。ここが愚図なんだよなあ。これやりたい、って言えば今すぐにやれる環境なんだけどな。やりたいことが明確ではないのですが(人と話すと明確だと言われたりわけわからんと言われたりなので自分でもよくわからないです)、月1とか隔週とかでテーマ決めて喋ったりして、その中で実現可能な形を探って何かしらぽつぽつやっていきたいという気持ちはあります。テーマはいろいろあって、自分の関心が広すぎるのがよくないのですが、自分の居場所が自分にとってより良い形になっていくことに関すること全般です。あとは、自分がこれまで生きてきて嫌だったことが変わってほしいし、もっと自分の意見を持っている人がいっぱいいたら楽しいからそれに気づいてない人と喋って意見を引き出したりしたい。人を直接的に変えることはできないから自分でいろいろ好き勝手やるのがいいんだろうなあと思ったり。私のやりたいことは大概お金にならないです。母子家庭の子に勉強教えたり喋ったりするのもお金取りたくない。食育とかもおにぎり作ってあげるくらいしかできない。むしろそれで薄味に慣れて味覚を正してくれって思う。しんどいんやったらメールとか電話とかしてくれたらいいし、うちに転がりこんできたらいい。そう考えてしまうんですよね。これ自己犠牲の典型的なやつだから本当によくないと思うんですけど、自分が小さいときにはそういう逃げ場が欲しかったなあと思ってしまう。小さいときにそれがあればおそらく年が経てば自立できる(もちろん全員が全員そうではありません)から。幼少期もしくは思春期における承認欲求の欠落は長期的な影響を及ぼすし、何なら一生それに(何らかの形で)悩まされることは大いにあるでしょう。子どもの数年間にちゃんと(精神的に)投資をしてやればいろいろ上手く回ると思うんだけどな。最初から武器も貰えずに一人で戦うなんて無理だよ。

そんな感じでお金と場所の問題です。多分。土台と武器を得る自信がないのが一番の問題。となると自信がないのが一番の問題だ。成功体験がないんだ。内定もないしな。自分で今訳している本の稚拙な表現を抜き出すと、「夜通し議論に明け暮れるような」場所と仲間が欲しいです。そのどちらも自分で少し探せばわりかし簡単に見つかると思うのですが、足が竦む。別に誰かに迷惑かけるわけでもないからやればいいのにね。誰の目を気にしているんだろうか。世間の評価かな。いや、親の目だな。これ無限ループになってしまうんだよな。前にも書いた気がするけれど、核家族における機能不全は本当に抜け道がないのでよくないです。少子化の一因です。家に帰るのが怖くない人には絶対にわからない感覚です。だから私は子どもに逃げ道を作ってあげたい、そういう私利なんです。それで、自分でちゃんと考えられる子になってほしい。支配主が絶対ルールなのではなく、自分の違和感を大切にしてほしい。と思う。考えないと既存のものが正義になりうるし、自分で判断ができない。大衆が必ずしも正しいか、声の大きいものが必ずしも正義かというとそんなことは絶対になくて、そのコミュニティにおける善悪にすぎないのです。そこから逃げられない限りは自分でもがくしかなくて、でも誰か一人でも認めてくれる人がいたらそれは心強いんだろうなあと思うので。純粋に楽しいと感じる経験が人よりおそらくだいぶ少なくて、その反対の経験が多分だいぶ多い。自分よりも苦労している人も多くいると思うし、その中で自分の足で強く歩いている人もいるけれど、自分はそんなに強くない。だからこそ愚図の気持ちがわかる。

これ自己正当化と自己嫌悪のループだな。とりあえず足りないのは成功体験だ。自信なさすぎる、昔からよく言われるけど。