人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

社会を変えるには明確なビジョンが必要です。また、大学(研究者)はその根拠となるデータを示し、論理的に説明をすることが求められています。

今日聴講した講義はどちらもを満たす明快なものでした。人口減少をテーマとして見解を述べておられました。人口減少は政府の意図的な介入があったにせよ、それの行く末までは想定されておらず、今はその歯止めの利かせ方を考えることが必要であると理解しました。少子化はもちろん出生率の低下から生じており、都市化、高学歴化によって核家族化が進んだことも要因ではあるが、現状のデータからみられる鍵となるものは結婚でした。非婚化と晩婚化による出生率の低下。前から何度も言われていることではあるのですが、データが非常に論理的に並べられていたのでわかりやすかったです。

ではどうすれば結婚をするのか。何がその足枷となっているのか。講義でも述べられていましたが、やはり社会の目の存在が大きいです。例として挙げられていたのは婚外子や学生結婚ですが、どちらに関しても、やろうと思ってもできない、のではなく、やりづらい、のではないでしょうか。学生結婚に関しては雇用体制の問題が絡んでいます。新卒一括採用や終身雇用制があるために、大学卒業もしくは大学院修了時での勉学から労働への切り替えが通例となっています。収入や出産の関係から、大学院への進学を諦めたり、そもそも大学への進学すら諦めざるをえない人もいます。終身雇用制は一種の平等の形なのかもしれませんが、現在の雇用体制には幾分問題があるように思います。私は過度の能力主義は好ましくないと考えているため、資本主義に偏ることには不安を覚えます。なんというか、あなたは健康で健全だから経済活動に大いに関われるのでしょう、じゃあ関わりたくてもなんらかのハンディキャップによって関わることができない人はどうすればいいのでしょうか、という(ひねくれた)ことを考えてしまいます。ハンディキャップは(マイナスの)能力として扱われるのでしょうか。元々がゼロの人よりはるかに頑張ってやっとゼロのラインに立てたところで、元々ゼロの人たちからすればそれは(見下す意味では頑張ったと言えど)何も頑張っていないと同義になってしまう。何か秀でた能力があるとしても、ハンディキャップを乗り越えて、というレッテルが貼られることも多い。そういった云々があって能力主義が好きではありません。社会主義がいいかというとそうでもなくて、ほどよく頑張れる仕組みができてほしいのです。過労死とかいらないです。お金を稼がないと暮らしていけないから、家族を養えないから、馬車馬のように働いて、罵声を浴びて、泊まり込みで、帰ってすぐまた出勤。これでは何のための人生なのかわかりませんね。働くことはえらいことなのか。残業は素晴らしいのか。そうだとしたらどうして日本の経済力は衰退しているのでしょうか。時代不適合な働き方は常にアップデートすべき。ただ、その根本を見誤った朝活とかはやめたほうがいいと思いますが。

プレミアム商品券とか新規事業とか全般に思うのは、それが何十年後に振り返っても意義のあるものであるかということです。ゆるキャラとかも。ブームで全部終わりそう。プレミアム商品券なんかは特に売れ残りも出ている市もある。購入者も狙いとは異なった使い方をしている。そういうことはやる前に想定しなかったのでしょうか。現状で宝石を買うような人はプレミアム商品券が無くても買うでしょう。

 

冒頭に書いたように、明確なビジョンを論理的に説明できるようになりなさいと言われました。

どうすれば幸せに暮らせるのか、という問いがあったので、私は幸せの根源には承認欲求があると考えました。子どもを育てることは、(無意識下において)次世代への貢献であり、間接的社会貢献となります。仕事をすることは、経済面における直接的社会貢献であると考えられます。承認欲求は私見では社会貢献の代償であるので、そのどちらも有意義なものといえます。しかし、現在はそのどちらも満足に得られる状況ではありません。雇用の不安定や介護とのダブルケアへの懸念が非婚化や晩婚化へと繋がります。その支援として現在よく取り上げられているワークライフバランスもあるのですが、そもそも8時間労働をちゃんとしたほうがいいのではないでしょうか。9時18時でも時間の前後は構わないのですが、残業を無くすということ。残業が偉いというのはおかしいし、就業時間内でやれるだけの仕事を割り振るべきだし、人が足りないなら既存の人間に負荷をかけるのではなく人を雇うべきだと思うのです。人が増える分残業はどんどん無くしていく。朝活もしない、育児や介護関連で忙しい人がいるかもしれないから。したい人はフレックスでやる。8時間労働で終わる分が就業時間内に終わらないのは、その人がダラダラやってるのか、仕事が多すぎるのかを見極める。時間内にこなす作業量が多い人にはボーナス増額とかさ。そういうのはだめなのでしょうか。

結婚したくない理由としては、責任からの逃避があります。その根本には核家族化やコミュニティの縮小による人間関係の単純化があると考えられます。もし機能不全家族であるとしたら、その子どもの家庭像はそれが全てになってしまうことすらあります。それによって子どもを授かることや育てることの恐怖が芽生える可能性も考えられます。そういった懸念への対処としてはコミュニティを広げることや第3の目の介入が必要です。また、教育が非常に重要となります。私見では教育の本質は知の享受にあると考えています。知とは自分自身を助くものであり、例えば貧困の連鎖からの脱出には必ず知が必要となります。そういった面を考えて現在の義務教育が為されているかというと、疑問を抱きます。机上の勉強だけが知ということはもちろんなくて、問題発見やその対処など、日常における人間関係を経て学ぶことも多くあります。しかし、わかりやすいものとしてはいじめなど、そういったことは解決をするのではなく、見てみないフリをする。私は教師が悪と考えているわけではなくて、そもそもの教師の数が足りなさすぎると思うのです。部活がやりたくて教師になった人はよくても、そうでない人や興味ない部活の担当になったらたまらんよね。休日出勤だし。そういったところに疑問をもっても、物言えぬ状態になっているのでしょうか。それともそもそも学校という狭いコミュニティにいるから変なものに対して変と思わなくなるのでしょうか。

私はこういうことを考えると、いつも問題がぐるぐる回って切れ目が見つからなくなってしまいます。何かの切り口から入っても、社会問題が連鎖しているというか。

 

今日は作業をしながらやたら個人の尊重という言葉がちらついたので検索したら、憲法13条でした。13条も改正が検討されていますよね。「人としての尊重」とか「公益及び公の秩序」って大丈夫なのでしょうか。「個」こそ尊重すべきと考えているので、「個」が外されるのは私としては非常に不安なものではあるのですが。「公益及び公の秩序」も、なんだか大多数こそが正義になりそうで。想像力がますます欠如の一途をたどりそうですね。考えない人間を作りたい社会なのかな。それを誰かが意図してやっているのでしょうか。私にはよくわかりません。そうしたい意味もよくわからない。憲法改正自体は、時代や社会に適したものであるならば私はすべきだと考えています。ただ、この13条に関しては少し疑問をもちました。