人生暇つぶし

恩師である教授の口癖。人生暇つぶし。学問暇つぶし。

腐食という「変化」

最近の野菜や果物はやたら甘いです。

私は本来甘いものが好きではないので、味覚が鋭敏なときには非常に不快になります。

穀物も甘い。元々含有された以上の甘みがあるように思います(元々の基準は自分が小さい頃に食べた味です)。

日本人のもつ味覚は甘味・酸味・苦味・辛味・旨味に加え、脂肪やカルシウムへの受容体など多岐にわたります。その中で甘味と旨味は両者が似た構造の受容体を持つため、味に対して拮抗します。この辺りはマニアックになるので止めます。

人の元来の味覚は3歳までに形成されます。

私は幼児期に薄味を基本とした食事で育った(らしい)ので、旨味への感受性がおそらく高いです。だから甘いものがあまり好きではない。

最近の子(というと自分が老けた気になりますが)は、学歴社会のように、裕福な家庭では有機野菜だアレルギー除去だなんだの(それが全面的に正しいのかはさておき)健康意識の高い食生活をおくる一方で、そうでない家庭では一例ではお菓子が食事という違いがあります。

私は正直どちらの生活でも好きにすればいいのではないかと思います。

「食べる」ことが本当に今程度に必要なのかというとそうではないように感じるし、といってお菓子が主食というのは現代的な味覚をお持ちなのだなあと。

人間の身体は環境に適応するので、どちらに対しても生きるだけの身体に作り変わります。というか、「脳」で判断しない限りは、身体に異常が生じればそういった兆候が表れます。野菜食べたいなあとかもそれです。

 

で、最近の甘いものに対する考えなのですが、(私の)選択肢が無くなっていくので困ります。

最近の子が甘いものじゃないと残すだの好き嫌いするだので、甘いものにマーケットが偏ってそちらにシフトするのも経済的にわからなくはないのですが、じゃあ我々は経済を回すために生きているのかな、と思うわけです。

就活生の年なので就職活動の話ばかりしているような気がしますが、就職をする意味を問うてもその時点において長期的に納得できる答えが見つかりません。

私は働きたくないわけじゃないし、生きるためにはお金がいるのもわからなくないし、仕事をすることで生きがいを見出すのもありだと思います。

私自身は、生きるためにはお金がいるけれど、お金のために仕事をするという観念ならばそこまでして生きる意味があるのかという疑問を持つわけです。

というかお金がないと生きていけないならば、そこまでして生にしがみつく意味が思いつかない。死ぬか死なないかを考えているときは死なないを選択すると思うけれど、ふわっとした瞬間に死ぬことは大いにあり得ると思います。希死概念とは違います。

生きがい(≒何かしらの意義)のために仕事をする人はとても魅力的だと思います。

私の生業はやはり「翻訳(≒伝達≒人を揺るがすこと)」だと思うのですが、たった一人で何ができるのかとも思うわけです。

社会の闇は深いです。根源はやはり人の感情でしょう。

誰だって自分が楽なように生きたいでしょうし、私だってそうです。

となると、数十億人もいるのだから数十億通りの生き方があるわけで、その感情と対峙するのは厳しいよね、ってなりました。

特に年数重ねて生きていけば、変わることは非常に怖い。それまでの自分を全否定する変化を求められるかもしれない。人生を揺るがされるなんて耐えられない。

だから多くの人の右倣えに追随するのではないか。そのほうが怖くないから。否定もされないし。

その一方でそういったものに耐えられなくて、またそんな自分を支えきれなくて死んでしまう人も多くいる。というか身近にいた。みんなが忘れようとも私は恐らく一生忘れません。常に考えているわけではないけれど。

マイノリティ、の中のマイノリティ、の中の…マイノリティという存在は常に淘汰されていきます。そこに抗うのは不可能なのかもしれません。それがよく言われる「社会」というものなのでしょうか。

今後の技術の発展に伴い、仕事はさらに減るでしょう。減るというか変わるのかな。

頭を使わない仕事はロボット任せもしくはセルフレジのように自力で解決できるようになるでしょう。セルフレジすらなくなりそう。サービス業全般なくなるのかな。野菜工場が常識になって農業もなくなるのかな。インフラも機械で整備されて営業もいらなくなって機械の管理も機械がやって医療も機械でできるようになるのかな。

もはや人間の存在意義がなくなるのでしょうか。

そこまではいかないだろうし、就農者の増加傾向からしてもそういったものは残ると思います。人間の温かみ(漠然としていますが多分伝わりますよね)を見出したい人たちが常に一定層いるので。伝統工芸も美しいですよね。越前和紙とか当たり前に継がれていて保存会がなかったくらいですから(今年できたってたしか鉄腕DASHで見ました。TOKIOってすごいよね、なんでもできる)。

そういった何十年後に自分の生きる場所はあるのかなあと考えます。そんなことに頭使うなって怒られそうですけど。

ぐだぐだと書いたきっかけは、同じ16卒の就活生が自殺未遂したという記事を見たからでした。その後に追記がないから亡くなってしまったかもしれません。人が社会構造によって死ぬのならば、その子に届かない社会貢献なんて、と思ってしまうのです。

社会貢献という言葉も人それぞれですが、周りの人を幸せにしたいという気持ちってとても素敵だなと思います。ただ、最初はそれでも規模が大きくなるといろいろな人が入り混じってきていつの間にか方向がずれていく。いわゆるブラック企業とかも、よく知らないですけど自分が(お金持ちになったり名声を得たりによって)幸せになりたい、という純粋な動機だったりして、ある種似た部分はあると思うんですよね。

だから自分が思う幸せの形(幸せという言葉を使うのもたまに自己嫌悪があるのですが)は、誰かを苦しめているのかもしれない。いろいろ自己矛盾もあるのですが。

人の負の感情の影響って強いですね。こんなにも涙が止まらないのかと。きれいごとですけど。

頭の中がいっぱいになってしまった。週末に面接やら論文やらなのに全く準備ができない。